
Vol.10
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1. 思想の森
2.国つ神計画研究所
3.使命を果たすための精密栄養学
4.KINEMA 2400
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/2026年6月30日発行/
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■ 1. 思想の森
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儒学には、「修身斉家治国平天下」という考え方があります。
国家・社会・他者を変えようとする以前に、まずは自らの心を正す。
最初のコーナーでは、聖人の言葉に従い、今、何を、どう思っているのかをお伝えします。
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私たちが何気なく使う「観光」。この手垢のついた言葉には、忘れ去られた重い出自があります。
語源は東洋最古の古典『易経』六十四卦のうち、第二十卦・風地観(観卦)にあります。易経は儒教の根本経典「四書五経」と呼ばれるものの一つであり、儒者にとって必読の書として千年以上読まれてきました。
今では忘れられていますが、日本も戦国時代を勝ち抜いた徳川家康が江戸幕府を開く際、儒教を新時代の体制哲学に組み込んだ影響で、大儒教時代と呼べる黄金期を迎えました。その影響は戦前まで続き、戦後に占領軍が儒教の教えを禁じたことで、失われた時代を迎えます。
その易経の中に記されているのが「觀國之光、利用賓于王」です。
書き下せば「国の光を観る、用て王に賓たるに利し」と読みます。
「観光」という語はこの一説に由来しますが、語自体が今日の意味で使われるようになったのは、明治以後。英語のtourismやsightseeingの訳語として、この古い語が採用された背景があります。
この瞬間、易経以来の観光が持つ本来の意味は形骸化し、西欧資本主義的な消費の文脈に寄ってしまったと考えれば、その末路が160年経った今、世界各国のオーバーツーリズムとして顕現したことは当然に思えます。
つまり、言葉の観点で見た時、英語のtourismには今日の大消費的観光時代を抑止する力はない。むしろこの語の帰結が、今の時代を招いたと言えます。
今年から私自身、観光業に関わるようになって直面したのが、まさにこの問題でした。
現在の観光業に関わる自治体、上場企業、官僚機構や諸団体、さらに土地の実権者を含めて、誰一人として本来の観光を知らず、誰もが西欧的な消費という文脈の延長上で誰もがもがいています。この渦中、観光という語だけが氾濫しているが、そこに実態はない。
かつて日本で「言葉それ自体が神である」という言霊信仰が興りましたが、私たち日本人にとって言葉の形骸化やズレは、直接的に実世界に反映されます。もし事業者として観光を見つめ直したい場合、真っ先にやるべきは語の本義に立ち返ることです。
ただ、これは現代人にとっては常に盲点となるため、大きな規模で実現することは不可能となります。よって小さな規模で、理解ある者たちと共に、分散的に実行するしかない。
この観点で見れば、オーバーツーリズム、逆に集客に悩む地域などは、共通して古く、誤った構造の上に立ったまま、すべてを消費され尽くすのを自ら待っているように見えます。まるで狼に差し出された羊のようです。
確かに、消費によって地元に落ちる莫大な金銭は、地域社会の有力者の政治力となり、観光客数の「数」は、役人がやった気になる材料として適している。だが、そこに実態があるのでしょうか?
その金銭の流れは、かなり直接的に自民党政権の支持基盤へ結びついている。そうした構造の中で、観光業が成り立っていることは事実です。
国家主導の観光戦略は、短期的に間違ったことではなくとも、中長期的に見れば、その土地・地域・人を破滅に追いやる動線であることも確かです。
逆に言えば、本来の観光の文脈に立ち返り、真摯に立脚することができれば、日本は世界的に歯止めが効かなくなった、大観光時代の先を提起する可能性が開けてくる。なぜならtourismとsightseeingの文脈に立脚する西欧的世界(今日の世界的観光業)から、このアイデアは絶対に出てこないからです。つまり、私たちは観光の語に入り込んだtourismとsightseeingを除去しなければならない。
これができるのは、儒教の影響下にある中国・韓国・日本ですが、最も儒教を消化し、昇華してきた日本にチャンスがあります。だとすれば、観光を元の文脈に引き戻し、消費ではなく再出立するためには、何から見なければならないのか?
ここで改めて「国の光を観る、用て王に賓たるに利し」を見ます。
まず、ここで語られる「光」とは、現代の景色や名所のことではありません(これがtourism)。一国の「徳」の輝き、文物制度の盛んな様、善政の発する明るさを指します。ちなみに「国」を日本として考えず、場所次元で考えることが重要です。
端的に言えば、観光とは本来、ある国へ赴き、その政(まつりごと)の輝きを観ることに由来しました。そして「王に賓たるに利し」と続くのが肝心です。
仮に前半の「国の光を観る」で終わるなら、他国の政の輝きを観て終わりです。これこそ、西欧的な資本主義における消費の文脈に留まります。しかし古代中国では、私的な満足で完結することを善しとする教えは一つもなく、必ずその見聞を自ら活かす実行の機会が求められます。
言い換えれば、そこまでを通じて「一つの学び」です。自分が満足するだけで終わるなら、世のため、人のために何の役にも立ちません。
「王に賓たるに利し」とは、徳の光を放つほどに治まった国であれば、賢者はそこに留まり、王の賓客、即ち官として仕えるが良いという含みがあります。
この考えが儒教特有であるため、個人主義を理想とする西欧世界(特にアングロサクソン圏)では嫌悪されます。しかし、私たちは西欧人ではなく、彼らの歴史文脈をほぼ共有していない。何より、ピンと来ない。むしろ千年以上慣れ親しんだ儒の教えの方が、心身深くに浸透し、心を覚醒する。
観光という語の核には、儒教の出処進退の思想が埋め込まれているのです。どの君に仕え、どの国に身を置くか。それを決めるために、その国の徳の光を観る。これを新儒教と言われた宋代の儒者・程伊川や朱熹は、「盛徳光輝」(徳栄えて光輝く)と読みました。
仕えるに値する君の国かどうかを、その場所の輝きから見抜くこと。そしてその輝きは、徳が発している。これが観光の本義です。
観光とは、呑気な遊覧でも自分探しの場でもなく、極めて政治的で倫理的な観察だったわけです。
ですが近代の到来と共に、この語は物見遊山の意に転じられてしまい、骨抜きになりました。その時、tourismの層が支配的になり、160年かけて日本の観光精神を破壊する動因となったのです。
そこには自らの出処進退を賭けて、本気で他国を観るという気迫が失われており、西欧世界に存在しない徳の思想も除去されています。
今、私たちが見つめ直すことは何なのか?
そこを見つめない限り、嵐のような大観光時代の後、荒地が残るだけになるでしょう。

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■ 2. 国つ神計画研究所
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統一国家や単一民族と、場所に生きる多元的世界。
どちらが正しいかではなく、相反共存する世界に誰もが生きています。
日本民族のルーツ研究を通じて、開かれてくる本当の日本とは?
古代日本・考古・神話・民俗・遺伝子・霊性など分野を統合し、独自の視点で日本を読み解きます。
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人の営みが育まれた場所には、必ず宿るものがある。
縄文人の狩猟採集範囲、弥生人の畑作に適した村落形成、古墳人の水田稲作に適した村落形成に始まり、複合部族化する飛鳥時代を経た律令的な都城時代。
藤原京、平城京、長岡京、平安京と遷る過程で、習合・逸脱を繰り返しながら、昇華した都城建造の底部にあるもの。そこには、解明し切れない渾融としたものが残存している。その基層は畿内を離れて関東へ流れ込み、やがて明治期の各主要都市の設計に流れ込んだ。
同時に、海人族にとっての潮流・海流・季節風、渡り鳥のように再訪する神々、山から降る鬼に至るまで、列島の中で育まれてきた無数の営為。
今、私たちは確かにその何かを失い、窒息するようにもがき苦しんでいる。
そこには一体何があり、何がそれを窒息させたのか?
いくら国家による統治を強めても、社会の圧を強めても、法規制を増やしても、根源には語られない何かがある。
梅雨の池に落ちる雨滴のように、中心ではない、すべてがその瞬間ごとの真中である静謐な状態。国つ神の鎮座する布置は、まさにここです。
場所ごとに異なる多元的な人の営為、その集積の空気と言える文化は、何かによって地底に抑止された。その正体を、私はコンクリートに見ています。
人工岩石のコンクリートを、自然に勝利し、自然を征服するために生まれたものだと位置付けるなら、前コンクリート時代を生きた日本人と、それ以降の日本人が、あらゆる面で変質することは避けられない。
文化、習俗、地域、信仰、自然など、あらゆる観点で叫ばれる「復古」は、もしかすると共通の問題意識として、コンクリートに埋め尽くされ、覆われてしまった日常に対する、心的な反発なのではないでしょうか?
かつて江戸時代末期に起きた復古神道も、つまるところは外来の影響によって埋め尽くされた信仰の層を、国学者というより、カリスマ宗教家だった平田篤胤が掘り上げた源泉から生まれました。今、思い出すのはこのことです。
国学者行なったこと。それは日本の再定義です。
彼らは日本を千年以上、インド発中国経由の仏教、中国発の道教と儒教の膜に覆われてきた国と位置付け、その膜を抉ったところに存在する真の日本を求めた。この時、国学者が優れていたのは、「地中(日本)」と「地表(外来)」の皮膜には、言葉の変容があったと見抜いたことです。
国学の開祖・契沖(1640-1701)が、空海に連なる真言宗の僧侶だったことを考えても、その起源が、言葉を正すことに始まったことは頷けます。真言はサンスクリット語のマントラの訳語であり、仏菩薩の「真実の言葉」などを表す語です。
空海は仏菩薩の言葉を明らかにし、それを祈りや呪文として発声することで、仏と心を一体化する実践へと結びつけました。
この教えが真言宗の基層にあったため、その精神を継ぐように契沖は言葉を凝視します。
彼は開祖・空海が生きた平安時代の言葉を復古する試みを決意し、当時の文献に基づいて仮名遣いを整理。五十音図という名称を初めて用いた主著『和字正濫紗』を刊行します。
さらに当時、水戸藩主・徳川光圀が推進していた藩プロジェクトに参加し、約15年もの歳月をかけて『万葉集』注釈書を完成。ここが国学の礎となりました。
ただ、彼はあくまでも仏教の僧侶。やがて国学の精神の礎は、現・伏見稲荷大社の神官・荷田春満に流れ込み、神道の観点で研磨研鑽される時代を迎えます。
以降、国学者が万葉集を徹底的に学んだ理由は、万葉時代の言葉一つひとつが持つ世界と、自らの心が感応することで、顕現する神を会得しようとしたからです。
その感応の境地に、外来教義に汚染されていない、かつての清らかな日本があると彼らが信じた時、国学は時代の要求に応える大きな潮流へと昇華していきました。
今風に言えば、中国でも朝鮮でもない、日本とは何かに向き合い始めた初の思想潮流だったのです。ここから思想的な考古学が始まり、万葉集を通じた徹底的な「古語・古意・古道」として、実践的な修養へと結ばれていきます。
古語は、『万葉集』や『古事記』の言葉を正確に読み解くこと。それは文献に記された意味を解釈するのではなく、言葉が現れる瞬間に目を向けることに始まり、それを頭ではなく、心身で掴み取る緊張感のある作業です。
古意は、そこで体得した古代の言葉の響きや表現から、儒教や仏教に染まる前の日本の素直で豊かな情感を追体験すること。いわゆる本居宣長の「もののあはれ」が、この境地の象徴的な感性です。
集大成となる古道は、古語・古意を体得した上で、神話や天皇を中心とした執政の在り方、神の教えに到達するための実践です。
この変容には二世紀近くの歳月を要したものの、「地中(日本)」と「地表(外来)」を開く境地を探究し続けた結果、平田篤胤の登場により「復古」が叫ばれました。つまり復古とは、何の思想的格闘もなく、実践の試行錯誤もなく、また今日明日に高らかに宣言できる代物ではない。
命を削りながら皮膜を探究した果てに、見えてくる境地なのです。その道は断崖絶壁であり、一歩踏み外すと奈落へ転落する。この緊張感が、当時の学者には確かにあった。
平田篤胤の復古神道は、「神道」自体が存在しない世界です。
篤胤は、それまで神道として語られてきた「神道ではない神道」への違和感から始まり、その対象が存在しないところで、その対象について語られていることに苛立ちを抱えていました。
この違和感は、今日あらゆる側面に応用することができます。つまり復古神道の真価は、神道を新たに生み出した創造の力にあり、それ自体が古来日本で育まれてきた何かを反映したものではない。それを生み出したのは、時代とも言えます。
皮膜を抉って復古するものに到達した時、私たちが目にするのは何なのか?
その内的格闘なしに、やたらと伝統と復古が叫ばれる現代。その響きに感じる虚しさと私意は、没落した国家、民族の行く末を反映しているとしか思えません。
言葉として表れずとも、自然の痛みを私たちの心身は引き受け、翻訳し、言葉として日々発している。その言葉を理解し、体得し、翻訳することは容易ではない。途方もない歳月と、緊張と、失敗の連続によって生まれる未知の言語だからです。
その根源にあるのは、単に自然破壊として表層で規定できるものではなく、心の問題にまで潜らなければ見えてこない。
その意識を持った目で見つめた時に、私たちが直面するもの。そこに鎮座するのが国つ神ならば、その意志をどのように引き受け、世に反映させるかが問われるはずです。
2026年1月3日、母国の政情が帝国の思惑によって一夜で破壊され、無秩序の中で起きたベネズエラ地震。世界各国のメディアは「ベネズエラ史上最大の自然災害」と報じていますが、死者が史上最多に上った理由は、倒壊したコンクリート群に人々が押し潰されたからであり、統制を破壊した帝国の思惑の結果です。
ベネズエラ地震の光景は、日本の未来のデジャブに思えます。場所を破壊し、片っ端からコンクリートで埋め尽くし、しかも政治は直接ゼネコンと結びついている。この中で、首都圏直下型地震や南海トラフ地震が起きれば、ベネズエラどころではない被害が及ぶでしょう。
空爆による焼け野原が日本を再生させたように、今度はコンクリートの倒壊が日本を再生させる鍵になるのかもしれません。
その時、どのような国造りを描くのか?
今を生きる日本人に求められていることは、神々にもう一度目を向け、祈りを回復し、その中から破綻後の母国創成を考え抜くことだと思えてなりません。

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■ 3. 使命を果たすための精密栄養学
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日本や世界の現状を憂い、少しでも未来を変えたいと思う現代人にとって、本当に必要なのは最低限の健康知識です。
どれだけ志が高くても、不調になると心身共に疲弊し、道半ばで諦めてしまうもの。
そこで本コーナーでは、使命を全うするために、最低限の健康知識を最新の精密栄養学の視点で提起していきます。
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今週は、重金属リスクについてです。
現代社会に潜み、着実に心身を蝕むものは多々ありますが、中でも脳機能や神経伝達物質に影響を与えるのが重金属です。代表的なのは、鉛、水銀、カドミウム、ヒ素、アルミニウムです。
これら重金属は体内に蓄積すると、長期的に悪影響を及ぼします。
今回は鉛を見ていきます。
鉛は、かつて車のエンジン性能向上のため、ガソリンに添加されていた時代があり、大気中に鉛が広がった影響で多くの人々が曝露してしまい、子供の発達に悪影響を及ぼしました。「有鉛ガソリン」とも呼ばれます。
元々、有鉛ガソリンは1922年に米国GM系が発明したもので、日本でも戦前から導入され、戦中・戦後を通じて1971年度末頃まで使用されていました。国産車で言えば、それまでに製造された国産自動車は、すべて有鉛ガソリン仕様車です。
この有鉛ガソリンが問題視され、公害問題と結びついたのは1970年5月になってから。東京都新宿区の牛込柳町交差点で発生した「鉛中毒事件」が契機となり、無鉛化が動き始めます。
レギュラーガソリンは1975年2月1日生産分から無鉛化され、ハイオクは技術的に無鉛化が困難だった事情から、1987年頃に完全に実現されました。ですが、法的な完全無鉛化(有鉛禁止)は1986年です。
重金属の観点で見れば、昭和は鉛と共にあったとも言えます。
鉛が厄介なのは、体内に入るとカルシウムと拮抗することに尽きます。
体内で骨に蓄積される性質を持つ鉛は、妊娠中やカルシウム不足の時に血液中へ再放出されてしまい、脳・神経系に悪影響を及ぼします。この影響をまともに受けるのが、子供です。
子供や胎児の神経系は発達中のため、鉛を吸収しやすい状態であり、排出機能の発達も十分ではないことから、一度体内に入った鉛を排出しにくい。鉛の曝露が子供に与える影響は甚大、かつ永久的に及び、成長の遅れ、IQ低下、短期記憶障害、聴力低下を招き、脳に対しては永久的な損傷を引き起こします。
鉛の曝露による聴覚障害として知られているのが、音楽家のベートーヴェンです。
18世紀後半から19世紀前半に活動したベートーヴェンは、20代後半で難聴となり、30歳を迎える頃には、ほとんど音が聞こえなかったと言われています。その後、40代後半で完全に聴力を失ったと言われていますが、苦悩のあまり31歳に遺書を書き残したほどです。
その原因が、鉛中毒でした。
後に彼の毛髪検査を行なった結果、なんと通常の約100倍の鉛が検出。この背景には、当時西欧でワインの甘味付けにおいて鉛化合物が使用されており、ワインを飲む際にも鉛製コップが使用されていたことが要因と考えられています。
ベートーヴェンは無類のワイン好きとして知られ、死因はアルコールによる肝硬変と言われるほど、生涯ワインを大量に飲み続けていました。これが大量の鉛曝露の原因となり、彼の聴覚に限らず、脳や神経を撹乱した。ある意味、芸術とドラッグが密接なように、もしかすると彼の重厚で静謐な創作の源泉は、鉛中毒にあったのかもしれません。
実は、今の私たちにとっても他人事ではありません。鉛曝露は現在も続いており、古い住宅の塗料、有鉛ガソリンによる土壌汚染地域で栽培された作物、輸入玩具、アクセサリーなど、日常的に鉛の影響は残っています。子供がこれらを口にすることによって、曝露の原因となるのです。
大人にとっても、輸入品の缶詰、タバコの煙や化粧品に鉛が含まれている場合があるため、ほぼ日常的に小規模の蓄積が進んでいる可能性が高い。
他にも鉛蓄電池、合金製品、クリスタルガラス、美術工芸品や古い水道管に至るまで、鉛の影響を完全に除去することは難しい現状があります。
「静かな健康被害」とも呼ばれる鉛は、一度体内に入るとカルシウムと拮抗し、骨に蓄積し、長期的な健康へのリスク要因となります。
一体、鉛が骨に蓄積すると何が問題なのか?
次回、この影響について見ていきます。

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■ 4. KINEMA 2400
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江戸時代、国学者は仏教や儒教などの中国的な影響に反発し、日本の固有性を万葉集や古事記に見出しました。
現在、私たちは欧米的な影響により、似たような状況に陥っています。
しかし、古典を読むことは、あまりにハードルが高い。
そこでこのコーナーでは、「日本の心」の観点から、往年の日本映画を読み解いていきます。
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かつて、映画界にはスターと呼ばれた花形がいました。
今、私たちがスターと聞いても、特定の俳優が脳裏をよぎることはありません。しかし、確かに20世紀の映画黄金期には、スターが多くの観客を魅了し、彼らの人生や心に深く刻み込まれていったのです。
スターは、単なる形姿の問題ではありません。当人の生き様が、スクリーンに反映される濃度に由来し、その映像世界を観る人々が抱える時代の要求を呼び覚まし、呼応し、解決するという一点に尽きます。語られない時代の要求に応えることができるか、ここがスターと、そうではない俳優の分け目です。
スター誕生と密接に関わるのが、時代背景です。戦後、青天井に映画館入場者数が増えて日本映画会が有頂天になる中、1958年に11億人台でピークに達すると、以降は坂を転げ落ちるように減っていきます。原因は、テレビの台頭です。
それ以前の日本映画といえば、いわゆるチャンバラが無数に製作・上映されていましたが、チャンバラの表現舞台が映画からテレビに転移した途端、映画館に足を運ぶ理由がなくなったのです。
茶の間で寝転びながら酒を飲み、家族団欒で見ることができるチャンバラが台頭。同時に、映画会社を率いていた首脳部は、前時代的な感性で経営を持続させようとした影響で、時代とのズレや摩擦が大きくなっており、時代劇に代わる新しい屋台骨が求められていました。
何より時代が求めていたのは、工場のように量産できる「型」です。型さえ作ることができれば、あとは大量生産が可能。ここに、テレビ台頭時代の映画が直面した現実がありました。
こうして映画は二極化します。ひとつは莫大な予算をかけて製作する大作映画。もうひとつは数を重視する大量生産映画です。
しかし、大手の東宝・松竹・大映はプライドが邪魔をして、量産映画に舵が切れない。結果的に大作映画に特化した東宝が一人勝ちを収めるも、資金力をつけて1969年に映画進出を果たすフジテレビ、出版と映像を連動させた1976年の角川映画の登場により、映画製作会社は凋落します。
一方、大量生産映画を得意とする製作会社がありました。それが東映です。
東映は、チャンバラ映画衰退で大打撃を被った会社の一つでしたが、大量生産映画という文脈で言えば、誰よりも先進的であり、またどの会社よりも体力ある製作陣が揃っていました。なにしろ東映の映画製作に関わっていた者の大半は、戦後満州から引き揚げてきた屈強な荒くれ者であり、戦災などで帰る場所を持たない者が多かったからです。
東映は、「一つの家族」として映画製作を行い、軍隊方式を映画に適用した唯一の存在でもありました。焼け野原、敗戦、同胞や家族の死。すべてが消去された中、彼らの人生で唯一残ったもの、それが東映の映画だったのです。つまり、東映は単なる映画製作会社ではなく、すべてを失った者たちに残った唯一の生きる意味だったのです。
だからこそ、ちょっとやそっとでは倒れなかった。これが東映の熱であり、大量生産を実現した力です。
そうした中、新しい型として東映が見出したのが「任侠」でした。
どの世界でも、時代の転換点にはターニングポイントとなる作品があります。東映任侠映画の場合、それは1963年の『人生劇場 飛車角』でした。そして同作に登場した2人の俳優が、東映黄金時代を支える翼となります。それが、鶴田浩二と高倉健です。
この映画で描かれた、義理と人情の板挟み、惚れた女、命を捨てる出入りなど、後に東映が型として量産していく任侠映画の様式は、最初の記念碑的作品でほぼ出揃っていました。
鶴田浩二と高倉健を並べると、この時代の感性がよく理解できます。
鶴田浩二は大正13年(1924年)生まれで、いわゆる戦中派の翳りを引きずっていた戦争体験者です。海軍航空隊に属し、自ら特攻隊へ志願する意志を持っていましたが、そのまま終戦を迎えたことで、どうしようもない鬱屈を抱えながら生きていました。ゆえに、彼の表現する任侠は静かで、腹の据わった憤怒が煮えたぎっています。滅びていくものの哀しさが、鶴田浩二そのものだったのです。
対して高倉健は昭和6年(1931年)生まれで、徴兵経験はありません。鶴田浩二の対比として、東映は寡黙で、耐え抜き、最後の最後に爆発するという我慢の憤怒を、高倉の型として作中に反映させました。
いわばターニングポイントとなる同作において、鶴田が「静」なら高倉は「動」で、観客はどちらの中にも自分の鬱屈を預けることができたのです。ここに鶴田派、高倉派として時代のスターが分かれる転換点が生まれます。
以降、任侠映画はシリーズ化されて、鶴田浩二を主演とするシリーズ、高倉健を軸にしたシリーズ、さらに2人の間から生まれてきた藤純子を軸とするシリーズが展開されていき、1970年代前半まで続きます。
しかし、なぜ任侠映画が若者の心を掴んだのでしょうか。
一つの事情として見なければならないのは、観客の出自です。既に復興を実現し、高度経済成長期に入った時代を生きる当時の若者たちは、ほとんどが農村の共同体から引き剥がされ、匿名の都市に放り込まれた事情を抱えています。
彼らは若くして、義理も人情も通用しない、金と計算だけが回る世界に素手で立たされたのです。この都市に生きる若者たちが抱える言葉にできない鬱屈を、見事に捉え、昇華したのが東映任侠映画でした。
なぜなら、東映任侠映画はまさにその裏返しの世界。つまり、義理人情がまだ意味を持つ幻の共同体をスクリーンの上に差し出したからです。
東映任侠映画では、伝統的な任侠の一家と、官憲や資本と結んで暴力的にのし上がる新興ヤクザの対比が基本構造となっています。その二つの世界に挟まれた主人公は理不尽に耐え、義理のために自分を殺し、耐え切れぬところに至った時、自らの破滅を承知の上で、たった1人、あるいは2人で殴り込みます。
この最後の殴り込みのシーンが、ちょうど1960年安保闘争に敗れた世代にとっての慰めになったのです。彼らは、集団の政治では決着がつけられなかった。安保闘争は結局、安倍晋三の祖父・岸信介首相の強行採決によって押し切られ、政治の季節は敗北で幕を閉じ、入れ替わるように官僚出身・池田勇人首相の所得倍増計画が始まった。
街はどんどん豊かになっていくのに、彼らの心のどこかには負けた澱が沈んでいる。闘争に負けた彼らには答えが出せなかったが、その答えを東映が任侠映画を通じて出したのです。いわば、任侠映画は、その澱の上に咲いた花だった。
かつての映画は、常に時代の語られない要求に応える力を持ち、確かな熱量がありました。翻って現在、若者が抱える言葉にならない鬱積は、形として顕現せず、氾濫する単発映像は無数の逃避を与えるだけです。
今、改めて東映任侠映画を見直す意義。そこには現代日本を作った基層が、どのように形成され、どこに歪さを抱えていたのかを、知るためには欠かせないように思えます。

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■ Jihan Jinko Vol.10【2026年6月30日発行】
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