Vol.19

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1. 思想の森
2.国つ神計画研究所
3.KINEMA 2400
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/2026年9月1日発行/

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■ 1. 思想の森

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儒学には、「修身斉家治国平天下」という考え方があります。
国家・社会・他者を変えようとする以前に、まずは自らの心を正す。
最初のコーナーでは、聖人の言葉に従い、今、何を、どう思っているのかをお伝えします。

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近年、毎年のように起きる日本各地の自然災害や突発的な事態は、もはや日常になりつつあります。そして今日は、立春から数えて二百十日目。ちょうど、本格的な台風シーズンの到来にあたり、稲の収穫期も近く、警戒を要する時期となります。

大きな流れや、行き過ぎたシステムを、個人が是正することはできません。ですが、いついかなる状況に遭遇しても対応し、即断する準備と心構えを日頃から養っておくことは個人ができることであり、生存や豊かさにもつながるはずです。

直近の熊本地震や、千葉・北陸などでの豪雨被害でも、日頃から準備していた者と、していなかった者の差は、大きく運命を分けるものとなったでしょう。そこを見つめながら、今月から始まる旅のために、改めて装備を抜本的に刷新し、調査過程で何が起きてもいいように準備を進めています。

その瞬間、わずかでも心を落ち着かせるためです。災害は、いかに準備をしても突如として起こります。震度七や八の地震、猛烈な台風、一瞬で訪れる津波、気づけば腰の高さまで水没するコンクリートジャングルの豪雨。こうした状況に直面すると、脳はまともな判断力を停止します。

つまり、誰であっても一時的に脳は混乱する。ですが、その瞬間にどのように自分自身の冷静さを取り戻すかを知っているだけで、大きく未来が変わる。災害への装備や準備は、どうしても恐れが先行しがちです。「恐れ」から積み上げた備えは、積むほどに恐れが増していきます。この扱い方こそ、本当に重要な問題に思えます。

大切なのは、自分に合った準備を整えること。そして同時に、旅は旅として最大限に楽しむための準備を加える感性にあります。それこそが今、世界一の災害大国・日本を楽しんで生きるために必要なことではないでしょうか。

自分にとって楽しむための準備というものは、人それぞれに異なります。ですが、今日のように、誰でもある程度のものを自作できるようになった人類史上初の世界を、活用しない手はありません。そこで今回、間もなく始まる調査旅用に開発しているのが、各種自作アプリです。

これまで日本各地を巡り、千社近くの神社に足を運んできました。しかし、いくら『古事記』などの日本神話や歴史を事前に学んでいても、それぞれの土地で奉られている祭神名や由緒を目にしたとき、それがどの系統の神で、どういった場面に登場したのかといった情報が、すぐに把握しにくいという問題がありました。

特に、日本の神名は厄介極まりない。場所によって『古事記』と『日本書紀』の表記が違い、その他の別表記が多数あり、さらに旧字体と新字体の違いなども重なります。また神産巣日神だけでも、「カミムスヒ」「カンムスヒ」「カムムスヒ」「カミムスビ」「カンムスビ」「カミムスビ」という具合に、あらゆる表記の揺れが起こります。

それらを一瞬で把握することは難しく、これまでは都度、その場でウェブ検索をかけていました。ですが、その瞬間に知りたい最小限の情報に対して、世の中に溢れる情報はあまりにも無駄が多すぎる。何より、SEOのために作られた冗長な情報では、必要な情報に瞬時にアクセスできず、判断を鈍らせ、アイデアを逃してしまうようなことが頻繁に起きます。

現在、iPhoneの音声入力機能が使えるレベルに達したため、思いついたことはどんどんメモに口述し、拠点に戻ってAIで書き起こす&校閲ができるようになりましたが、ここに連動する神の系譜の問題は、私にとって厄介な問題であり続けました。

そこで今回、これらの経験を踏まえ、現地で由緒の前に立ったとき、必要な情報だけを一瞬で抽出できる自作アプリを開発しました。これを使えば、これまでのような混乱も、わざわざ膨大なウェブ情報の中から調べ直す手間もなく、AIの冗長な文章に時間を奪われることもありません。パッと開いて検索すれば、その神の必要な情報が一気に出てきます。

そのアイデアの元は、実は遺伝子の母系・父系をデータベースにしたツリー形状にあります。つまり、神の系譜を遺伝子ツリーのように、仕上げようと考えたのです。何せ、國學院大学などが公開している神の系図は、あまりに複雑で、スマートフォン用に最適化されていないため、実用的ではありません。研究者ならまだしも、移動を前提に調査する者にとっては、実用的な系図が世に存在しない。

さらに、神名の難解な訓みをワンクリックで変えられる機能を実装し、その祭神の系統、神話における親・兄弟姉妹・婚姻関係などを網羅し、古事記をベースに日本書紀、先代旧事本紀、古語拾遺、歴史上の偉人、地域伝承の神々など、日本の神社に奉祀されている神々を、独自データベースに組み込みました。

画期的だと自負しているのは、あらゆる神名の揺れを網羅し、漢字の表記基準や読みの微妙なブレなども、一括検出できるシステムを組み込んだ点です。これを旅の過程でどんどん使い、改善点を炙り出しながら、リアルタイムでAIに指示を出して修正・アップデートしていく。この連携が二十四時間体制で可能になったこと自体が、非常に画期的なことだと感じます。

つまり、移動しながら開発する。

移動を続ければ続けるほど、これまでにない新たなアイデアが思い浮かぶ。その移動を加速するために、災害に遭遇する時を前提に準備を行い、自分にとって必要なものは自作する。それらを徐々に加えながら、自分自身の旅を最適化していく。

その結果、24Lバックパック一つで引越しができるようになりました。この夏、線状降水帯によって無数の車、家、家財が浸水して廃棄せざるを得なくなった被災者の姿を見つめながら、もはや自分の手に持てる範囲だけで、人生を完結させなければならない時代に入ったと、強く感じます。

今回は途中、友人たちと合流して旅を続けるため、友人たちの非常装備もバックパックに入れて、こっそり何が起きても楽しめる準備を整えています。それは、いつ起きるかわからない災害への徹底的な準備であると同時に、人生を徹底的に楽しむという姿勢そのものにつながっていくのではないでしょうか。

何しろ、私たちの母国は世界一の災害大国であり、首都圏直下型地震や南海トラフ巨大地震は、今来てもおかしくないのですから。東海道が止まれば、日本経済は即終了です。これらを鑑みながら、手荷物だけで人生を完結させる。もしかするとこの心意気こそ、激動の時代の先へ進むための、本当に重要な要素なのかもしれません。

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■ 2. 国つ神計画研究所

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統一国家や単一民族と、場所に生きる多元的世界。
どちらが正しいかではなく、相反共存する世界に誰もが生きています。
日本民族のルーツ研究を通じて、開かれてくる本当の日本とは?
古代日本・考古・神話・民俗・遺伝子・霊性など分野を統合し、独自の視点で日本を読み解きます。

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最終回となる今週は、いよいよCOMT(カテコール-O-メチルトランスフェラーゼ)という一つの遺伝子に焦点を当てながら、私自身の空想も存分に織り交ぜ、興味深い民族の姿に迫っていきます。

まず、これまで研究で蓄積された集団別のCOMT変異の姿を、概観することから始めます。

【集団:Val/Val|Val/Met|Met/Met】
●ヨーロッパ:約23%|約50%|約27%
●中東:約25%|約50%|約26%
●アシュケナージ系ユダヤ人:約29%|約50%|約21%
●南アジア:約31%|約50%|約20%
●ラテンアメリカ&混血米国:約35%|約48%|約17%
●アフリカ系:約49%|約42%|約9%
●東アジア:約51%|約41%|約8%
●日本:約46%|約44%|約10%

あくまでも現時点の参考程度でしかありませんが、集団差がはっきりしていることが理解できます。

つまり、現時点で判明している断片的なデータは、COMTに関する限り、「人類の標準」などないのです。せいぜい中間型がどの地域も半数近くいるという程度でしかなく、特に人口数の多い東アジアとアフリカは、Val優勢の世界に生きており、Metはかなり少ない。逆に欧州と中東・ユダヤ系は、圧倒的な優勢という比重はありません。

面白いことに、チンパンジーと共有する祖先型はValであり、Metは人類史の途中で生まれた派生型とも考えられています。ここからは、個人的な仮説です。話半分程度に、お聞きください。

私はMet変異が生まれた背景には、出アフリカからしばらく経った後、中東で農耕と定住が勃興した頃と、関係があるのではないかと見ています。例えば、変異は土地を巡る戦が相次いだ、中東・地中海一帯に生きていた集団の抱えたストレスによって、引き起こされたのかもしれない。

一方、古い型を継承し続けている日本を含めた東アジア系は、祖先集団の大半が中東・地中海に留まって戦を繰り広げる中、ひたすら東へ向かって移動を続けた祖先を古層に持っています。これにより、古い遺伝子を保持し続けることができた可能性がある。

いわば、「人間」と敵対する中で変異した中東・西欧型と、「自然」を進み続けた東アジア・アフリカ型とも言える。よって西洋が主張しているCOMTのValを「戦士の遺伝子(Warrier)」、Metを「心配性の遺伝子(Worrier)」とするのは、どこか見る場所がズレている。あくまでも、彼らの集団次元でしか通用しない空想に過ぎないのです。

おそらく中東・西欧での戦乱では、Metを生み出さなければ、文字通り絶滅していたかもしれない。前回お伝えしたとおり、Valはストレス下に極めて強く、どんどん決断して多動の力を持ち、Metはストレスに弱いが、静かな場所では一つの物事に向き合うことが得意です。

ホモ・サピエンスの標準を考えた場合、そもそも農耕・定住を前提としていない種ですから、Valを保持し続けたままこの生活形態に入ってしまうと、気づけば種同士の争いで全滅するリスクがあった。その極限のストレスが種の本能に影響を与え、変異を遂げた可能性があります。つまり、特殊事例です。

ただし、これは逆の見方もできます。「敵(同じ人間)」から、できるだけ自分たちが土地・食糧を獲得するためには、どうすれば良いかという戦術を作るために、変異が必要だったとも言えるからです。突っ込んだことを言えば、狡猾の遺伝子とも言い換えられます。

こうして中東・西欧で人間同士が争い続ける最中、もしかすると同じ場所に留まり、馬鹿げた争いを続ける集団から、半歩身を引いて見切りをつけ、ひたすら太陽の昇る「始原の地」を求めて東へ移動を続けたのが、日本の最初期の祖先なのかもしれません。

無論、これは私の脳内の空想に過ぎません。しかし、馬鹿馬鹿しいと思える可能性に、実は重要な本質が潜んでいることもあります。事実、戦前の考古学、民俗学、人類学の先人たちの調査を踏まえて直感的に浮上した可能性が、今日になって驚くほど正しかった姿とも一致します。一方、問題は以下にあります。

にも関わらず、これまで、いや今も、世界に流通している「(人間の)基準」なるものが、西欧型の「人間」から作られていることは、問題視せねばならない。人類の原初からして外れた特異的な物差しが、普遍の顔を装って出回っている事実は、見過ごすわけにはいきません。

なぜなら、これに基けば、祖先型(Val)を強く共有する集団は、彼らにとって「野蛮(人間ではない)」の根拠となるからです。植民地主義の論理です。つまり、「人間」という捏造されてきた怪奇な問題が、たった一つの遺伝子だけで無際限に浮上してくる。このリスクを、本格的に遺伝子検査・解析が民主化されるであろう、ここからの二十年、いち早く理解しておく必要があります。

事実、今では流石に公言しなくなりましたが、一時は(白人に多い)Met型を「賢い遺伝子(人間の遺伝子)」と呼ぶ風潮が西洋にあり、今もこの観点を西洋は確実に保持しています。彼らにとって遺伝子解析の先端技術には、極めて強い白人イデオロギーが関与しており、「自分たちは野蛮ではない」ことの科学的担保として利用したい思惑がある。

しかし、残念ながら西洋はこの分野で先頭にはたてません。その最大の壁となるのが、キリスト教だからです。キリスト教からの強い圧力と制限が西洋では避けられないため、すでに最先端遺伝子研究の舞台は、非キリスト教圏の中国やインドへ移行しています。

さて、これまで三回に分けて、遺伝子という実感をお持ちいただくために、COMTというたった一つに焦点を置き、私の空想も含めて伝えてきました。最後に、さらなる空想を。

一般に、日本人は同調圧力が強い村社会で、決断力がなく、ゼロから一を作るのが苦手で、変化を拒む民族だというレッテルが世界的に共有されています。しかし、本当でしょうか?

今回扱ったCOMTだけで言えば、Val/Val型はストレス環境に極めて強く、決断力があり、一つのことに集中するのは苦手ですが、好奇心旺盛で多動的です。私は今、もしかすると日本人の能力を阻んでいるのは、「完成された社会(西欧を模範にしてしまった社会構造)」にあるのではないかと考えており、この強い制限が無化された時、再び日本人の大半は、この遺伝的特徴を大いに発揮する瞬間が来るのではないかと考えています。

たった二世紀程度を振り返るだけでも、明治維新、関東大震災、敗戦の焼け野原などの強制リセットが起きたとき、日本人の再生力は他に類を見ません。つまり、近代官僚主義的な法規制の実装こそ、日本人の力を弱体化している最大の要因なのではないか。

さらに劣悪な食事と環境により、多くの日本人が本来持つ力が完全に抑止されている。実は、どれだけ良い遺伝子を持っていても、後天的な環境要因によって遺伝子発現が抑止されれば、それまでです。つまり、良いものを持っていても環境が使わせない。これが、本質的な日本の問題かもしれないのです。おそらく膨大な数の日本人が、人生で合っていないことをしている。だから不具合が続出し、病み、人生の質が下がり、勢いも国力も無くなったと言えるのです。

そう考えると、私たちに必要なのは強制リセット一択です。現実的に考えれば、三十年以内に確実に起きるであろう首都圏直下型地震、南海トラフ巨大地震がトリガーとなるでしょう。その時、長州閥/植民地主義者/アカデミズムによって形成されてきた「日本の利権」が崩壊し、焼け野原とともに余白が生まれる。

この瞬間、日本人の能力を最も発揮できる環境が用意され、これまで抑止されてきた各人の能力も、研ぎ澄まされる可能性は高い。ただし、そこには重要な前提があると、あえて付け加えておきます。

「来たるべき時」が来るまで、食事を整え、健康になり、環境を整え、内省を行い、次の日本・日本人、あるいは世界・人類のために己ができることに邁進すること。この前提がその時までになければ、良い遺伝子も無意味でしかありません。

また、遺伝子は運命ではありません。ですが、私自身の遺伝子と生涯を突き合わせていけばいくほど、自分が遺伝子に従って生きようとしながら、道を外していたことが、目に見えるまで解像度が上がりました。その逸脱の要因が、社会なのです。ここで苦しみ、能力を発揮できていない日本人は相当数に上るでしょう。

「日本人なる集団」は、全てがリセットされたとき、最初にVal/Valが次々と道を切り開くも、すぐに飽きて別のことに関心が映るため、完成を待たずに放置する(興味がない)。Met/Metは真理を見つめて探究を続けるも、静かでストレスがない環境を作れなければ、力を発揮できずに潰れる。そこで放たれた諸要素を、慎重な性格を持つVal/Metが掴み取り、器用さを発揮して巧みにミックスして整え、提示する。

ですが、Val/Valは原動力のドーパミンを枯渇させてしまうと、無気力になって衰退。Met/Metも徐々に安定する社会では力を発揮しますが、同調圧力との距離感が決定打となる。Val/Metは社会圧を形成する母体集団であるため、成立強度が高まると、出る釘を打ち、静かに思索する者をなかったことにし始める。

器用な慎重さが災いし、徐々に、確実に、和を維持するための法規制をどんどん整え、変わらないように仕上げていく。その意味では、吉田松陰や高杉晋作と違い、伊藤博文や山縣有朋は、典型的だったのかもしれません。

敗戦直後、ヤクザによって守られていた市民・警察・政治家が、社会が安定し始める頃になると、途端にヤクザを社会悪、秩序を乱す存在と見做し、法規制と暴力によって弾圧した歴史は、まさにこの流れをなぞっています。今、地域からヤクザが消えたことで、空白地帯に入り込んだ外国人犯罪が日常的に起きている。

私は大阪西成の調査を通じて、ヤクザは本質的に国つ神の位置にあったと考えていますが、こうした歴史も民族の遺伝子配分、能力を発揮できているか如何によって、大きく変わるのだろうと思います。

そして最後に、人は誰もが違う。この言葉の意味は、遺伝子検査によって己と向き合った挙句、初めて腑に落ちる真理なのでしょう。

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■ 3. KINEMA 2400

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江戸時代、国学者は仏教や儒教などの中国的な影響に反発し、日本の固有性を万葉集や古事記に見出しました。
現在、私たちは欧米的な影響により、似たような状況に陥っています。
しかし、古典を読むことは、あまりにハードルが高い。
そこでこのコーナーでは、「日本の心」の観点から、往年の日本映画を読み解いていきます。

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前回、独立プロがぶつかった壁は「作る自由」ではなく、「上映される自由」だったと書きました。今やあらゆる最先端技術などを駆使すれば、誰でも作ることは可能です。しかも、YouTube、Amazon Prime、Vimeo、TikTokを始めとする多くのプラットフォームが用意されています。

一見すると、これは人類史上初の民主化に思えます。ですが、ここに本当に大切なことが浮上していることを、多くの方々は見失っています。それは、届ける相手のことです。

クリエイターにせよ何にせよ、あらゆる作り手は本来、「届ける相手」のことを慮り、世のため、人のために必要なことを制作し、提起してきました。これは「作る/届ける」が循環していなかった時代、真剣に考えられた問題でしたが、今のように誰でも、いつでも、簡単に、という時代になると、作り手から「届ける相手」の顔が消え、いつの間にか不特定多数の顔が見えない相手へと抽象化されました。

サービス構造ですが、二十世紀後半の日本のように、一億総中流と呼ばれた資本主義と社会主義の折衷体制では、この方法が効率的に機能。いわゆる成功モデルとして、再生産され続けています。しかし、今や遠い昔話。だからこそ、私たちはこの成功モデルが確立する前夜の動きを、知っておくべきなのです。

では、六〇年代、映画界の作り手たちはこの壁にどう挑んだのか。結論から言えば、彼らは戦い方を抜本的に変えました。単に「作る会社」を作るのではなく、上映するところまで自前で抱え込む集団へと変質していったのです。ここに、独立プロの本当の面白さがあります。

その象徴が、一九六〇年十月に起きた一つの事件でした。

松竹の若手監督・大島渚が、安保闘争を真正面から描いた『日本の夜と霧』を発表。ところが、公開から四日目の十月十二日、社会党委員長・浅沼稲次郎が演説中に刺殺される事件が起き、松竹はこの政治的な作品への反応を恐れ、大島に無断で上映を打ち切ったのです。

作品が消されたのではなく、製作者に何の相談もなく、会社上層部が勝手に上映を止めたのです。そもそも大島は、京都大学時代に京都府学連委員長を務めるなど、学生運動に深く関与した人物でした。つまり彼は、闘争運動の内部で何が起きているのかを知っていた。それを暴かなければ、自分に対する総括ができなかったのです。

だからこそ、所属する会社が無断で上映を止めたことに対して大島は猛抗議。契約期間が残っていたため、自ら違約金まで払って、翌一九六一年に松竹を退社します。これが一九六〇年代の映画史の幕開けです。そして妻で女優・小山明子、脚本の田村孟、石堂淑朗、俳優の小松方正、戸浦六宏と、大島を含む六人で「創造社」を設立したのです。

彼が会社を出た理由は、撮らせてもらえなかったからではありません。撮ったものを、観客に見せてもらえなかったからなのです。前回まで見てきた五〇年代の独立プロは、赤狩りで撮影所を追われた人々が始めたものでした。ですが、六〇年代は毛色が違う。上映という一点で会社と決裂した人間が、自分で全部やると決めた運動の延長線なのです。

この動きに続き、松竹ヌーヴェル・ヴァーグと呼ばれた同世代が、次々に会社外へ出ます。吉田喜重は現代映画社を、篠田正浩は表現社を設立。日活で企画が通らなくなった今村昌平も、家を抵当に入れて自らのプロダクションを構えます。彼らがやがてATGと合流していく流れは、大企業への離反という形で始まっていたのです。

さて、ここで最も鮮やかに時代を象徴した、一人の男に触れなければなりません。
それが、若松孝二です。

彼はテレビの助監督時代、脚本の改変に腹を立ててプロデューサーを殴り、その場でクビになった人物。業界に干された挙句、行き場を失った彼が流れ着いたのが、ピンク映画(ポルノ映画の前身)でした。若松は一九六三年『甘い罠』でデビュー。自ら製作費百五十万円を出して撮ったこの作品が、異例の集客を見せ、一気に注目を浴びます。

一九六五年、若松プロダクションを設立。その第一作『壁の中の秘事』が、日本映画製作者連盟が推薦した大映作品を差し置いて、ベルリン国際映画祭の正式上映作品に選ばれてしまった時、業界に激震が走ります。

映画界の主張は、ピンク映画が国を代表して国際映画祭に出るとは何事か。こちらが「日本映画」として宣伝したい日本的なテーマを差し置き、こんな侮辱するような映画が国際映画祭に出てしまうと、日本のイメージが崩れるというものです。

実際、外務省まで反対声明を出す事態となり、東宝の専務は、若松がベルリンで恥をかくのは自由だが、日本国が恥をかくのでは困ると語り、評論家からは救いようのない三流以下という罵倒まで飛び出しました。翌一九六六年、映連はこの出品への抗議として、ベルリン映画祭そのものをボイコットしたのです。のちに「国辱映画」事件と呼ばれます。

ですが、この騒動の裏で起きていたことのほうが、はるかに重要でした。独立プロの最大の障壁は、上映する場所でした。全国に映画館は無数にあるにもかかわらず、全てが大手六社の系列に組み込まれ、番組は自社作品で埋まっており、外部の製作者による映画を上映する場所がない。ところがこのとき、大手の網の外側に、時代の要求から、もう一つの興行網が着実に育っていたのです。

それが、成人映画館でした。ピンク映画は、プライドの高い大手が扱わないジャンルであり、彼らが最も軽蔑するジャンルでした。ですが、需要は極めて高い。だからこそ、独自の製作会社と独自の劇場網を持っていたのです。作れば、必ずかかる場所がある。しかも観客は、別に内容を吟味して来るわけではない。

天才的な才覚を持つ若松は、この構造を利用したのです。何しろ、規定の濡れ場さえ入れておけば、あとは何を撮ってもいい。創造力に溢れた若松にとって、この自由は他では得られない最上の実験場でした。

そしてこのピンク映画で若松が構築し始めた自由が、一つの重要な動きと結びついてきます。彼自身が、大和屋竺、足立正生、沖島勲といった過激な才能を次々に登用し、団地の閉塞、左翼政党の頽廃、原爆症、国家と暴力といった主題を、ピンク映画の枠のなかに叩き込んでいったのです。

彼らの動きは、一般的に正史ではタブーですが、画期的です。彼らは検閲を突破したのではなく、そもそも検閲が見向きもしていない場所を、興行網ごと乗っ取ったのです。

特に私が大好きな足立正生は、一九七一年に若松孝二とパレスチナへ渡ってPFLPのゲリラ隊と共闘し、一九七四年に重信房子の日本赤軍へ合流。国際手配され、一九九七年にレバノンで逮捕、ルミエ刑務所で三年服役し、二〇〇〇年三月に日本へ強制送還されました。いわば、現在リアルタイムで起きている大イスラエル主義によるパレスチナ虐殺に対抗する、最初の運動の母体の渦中で、足立は重信らと共に生きていたのです。

強制送還以降も精力的な活動を続けており、二〇二二年には『REVOLUTION+1』を発表。安倍晋三銃撃事件の実行犯を題材にしたフィクションで、国葬反対をぶつけた映画です。活動家の足立らしく、緊急上映が行われたのは、安倍晋三の国葬前日と当日の九月二十六〜二十七日。これが本物のクリエイターだと、私も衝撃を受けました。

一方で、まったく違う道を選んだ人たちもいました。それが、記録映画の作り手です。

小川紳介は、岩波映画製作所との契約を解消し、一九六六年に『青年の海』を自主製作。翌一九六七年に小川プロダクションを設立し、『圧殺の森』で高崎経済大学の学園闘争を、『現認報告書』で羽田闘争を撮ります。そして一九六八年からは、成田空港建設に反対する農民のなかに住み込み、三里塚シリーズを七作にわたって撮り続けました。

彼らの作品は反体制とみなされる以上、当然どこの映画館にもかかりません。ですから、上映会そのものを組織したのです。全国に自主上映の会が作られ、支援者がフィルムを担いで、公民館や大学の教室を回っていく。今も自主上映が行われていますが、その源流はここにあり、個人的に残念なのは、現在の自主上映がこの動き以降、何ら画期的なアイデアが出ていないことです。

前回、五〇年代の自主上映を「志は高いが興行ではない」と書きました。ですが六〇年代は規模が違います。三里塚闘争が全国区の運動になったのは、小川プロ作品の自主上映が各地で行われたからだと、実際に当時の反対同盟の関係者自身が証言したほどの影響力があったのです。写真家の北井一夫も入り込んでおり、いわゆる機材の民主化がこうした人々の登場を支えていたのです。

つまり、映画が運動を記録したのではなく、上映という行為が、運動そのものになっていたのです。この流れの極点が、一九七一年に現れます。

若松孝二と足立正生は、カンヌ国際映画祭に招かれた帰途、何とそのままパレスチナへ直行。そこでイスラエルの帝国主義に対抗するアラブゲリラの日常を撮り、『赤軍-PFLP・世界戦争宣言』を完成させます。この映画は戦線の真っ只中を抉り取った映画であり、なぜ、現在のイスラエルによるパレスチナ人虐殺に異を唱える人々が、彼らの名前を出さないのか私は不思議でなりません。

そして彼らは帰国後、バスを一台買いました。真っ赤に塗ったバスに映写機とフィルムを積み込み、「赤バス上映隊」と名乗って、新宿を皮切りに全国を回ったのです。上映される場所がないなら、上映する場所を走らせればいい。

これは五〇年代から二十年、独立プロがずっと抱えてきた問いへの、これ以上ないほど物理的な回答でした。もはや映画館という建物そのものを必要としない。フィルムと映写機と、集まる人間さえいれば、そこが劇場になる。これが彼らが最も先鋭的であり、先頭に立っていた何よりの証です。

ここまで来て、ようやく全体が見えてきます。上映される自由を求めた者たちが辿り着いた解法は、結局のところ三つでした。 一つは、別の網に乗ること。若松がピンク映画の劇場網を使ったやり方です。 二つは、自分で網を作ること。小川プロの自主上映と、赤バスがこれにあたります。 そして三つ目が、網を持っている大人と組むことでした。それが、以前お伝えしたATGです。

金は半分でいい、口は出さない、そのかわり一ヶ月は必ずかける。あの第三条が、なぜ第三条として書かれねばならなかったのか。ここまでの二十年を見てきた読者には、もう説明はいらないでしょう。

そして、この季節は終わります。決定的瞬間は、一九七二年に連合赤軍が内側から崩れた事件。これによって観客が消えていき、一九七四年、映画産業衰退を背景に、大手はいよいよ製作から手を引き始め、日活はロマンポルノに、東映は実録路線に活路を求めました。独立プロという言葉自体が、いつのまにか特別な響きを失っていったのです。

ですが、それは敗北ではありませんでした。八〇年代以降、映画は基本的に製作委員会と独立プロダクションが作るものになります。撮影所に監督が社員として所属し、十年勤めて一本目を撮らせてもらう。そんな仕組みは、もうどこにもない。大手が握っていた垂直の一本線は、完全に解体されました。

独立プロは、負けたのではなく、常識になったのです。そして今、私たちは誰でも撮れて、誰でも公開できる時代にいます。カメラは手の中にあり、配信の窓口は無数にある。二十年をかけて先人が求めた「上映される自由」は、原理的には完全に実現しました。

ただ、実現してみて分かったことがあります。

自由に出せるということは、誰も見ないということと、ほとんど同じだという事実です。あの時代、上映が一週間確保できるかどうかに命を賭けたのは、その一週間に確実に人が座っていたからです。壁があったから、突破する意味があった。壁が消えたいま、私たちは突破すべきものを失い、代わりに無関心という、もっと厚い壁の前に立っています。

当時の製作者と観客は分離しておらず、一つの何かに包み込まれた不離の境地にあった。だから興行は成り立っていたのですが、現在のように人々が共通の何かを持たない時代では、そもそも製作/観客は分離しており、決して結びつくことはありません。ここは二〇一〇年代の経験を踏まえて、今後大きく直面する問題となるでしょう。

世界的に物語や宗教への回帰が叫ばれているのは、この共同的感性を取り戻すためです。しかし、個々の分離と孤絶は、容赦なく加速しています。

これまで三回にわたって、大手の仕組みから独立プロの興亡までを見てきました。

彼らが本当に守ろうとしたのは、「表現の自由」という抽象的な言葉ではありませんでした。自分の撮ったものが、知らない誰かの目の前に、ある時間、確実に置かれること。守ろうとしたのは、それだけだったのです。

そしてそれは、映画に限った話ではないのだろうと思います。

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■ JIHAN JINKO WEEKLY MAGAZINE Vol.19【2026年9月1日発行】
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